泣けるというより、「朝が来る」は最後にどうか登場人物全員が幸せになってほしいと強く願ってしまう。映画にもなってたの忘れてた。そしてこれで辻村さんシリーズ第何段だ? ちなみにこれも今は手元にない本。
「子供をもつとは」「妊娠とは」「自然分娩・無痛分娩」「夫婦とは」…年を重ねれば重ねるほど(というより高齢出産と言われ始める35歳の年齢が近づけば近づく程)、よりその内容が自分の現状に重々しくのしかかる。「家族」のあり方についても今一度考えさせられるしね。
ハードカバーで読んだ後、一度文庫本でも購入して主人に読ませたような気がする。「子供を産み育てる」ということがどういう事なのか、一緒に考えて欲しくて。でもあんまり感想もらえなかったなぁ。内容が内容なだけに、主人としてもきつかったのかも。辻村さんの中では珍しく「リアル中のリアル」を描いた作品だなぁと私は思ったかなぁ。辻村さんのは基本ミステリー要素あってドキドキしっぱなし。どんでん返しいつ来る?って身構えてるんだけど、これはテーマが重すぎて派手なのは出来なかったんじゃないだろうか、、、
あらすじ (Filmarks映画情報 原文ママ)
一度は子どもを持つことを諦めた栗原清和と佐都子の夫婦は「特別養子縁組」というシステムを知り、男の子を迎え入れる。それから 6年、夫婦は朝斗と名付けた息子の成長を見守る幸せな日々を送っていた。ところが突然、朝斗の産みの母親“片倉ひかり”を名乗る女性から、「子どもを返してほしいんです。それが駄目ならお金をください」という電話がかかってくる。当時14歳だったひかりとは一度だけ会ったが、生まれた子どもへの手紙を佐都子に託す、心優しい少女だった。渦巻く疑問の中、訪ねて来た若い女には、あの日のひかりの面影は微塵もなかった。いったい、彼女は何者なのか、何が目的なのか──?
あらすじ映画の方から取ってきちゃった、、、続きからはがっつりネタバレ
「特別養子縁組」っていう言葉知ってはいたけど、こうも身近に考える日が来るとは思わなかった。私は子供欲しいけど、もしかしたら無理なんじゃないか説が浮上してきているから余計に苦笑
特別に子供嫌いってわけではないんだけど、「親に護られている」から安全であるのだと意識が低かった自身を思い出すから、時々「子供」っていう存在から目を逸らしたくなる。あなた『自身』にそれほどの力はないのだと、あの頃の自分に言いたくなってしまう。
子供は宝!って手放しで喜べない自分が一番鬱陶しい。少子化のこの世の中でね。(特に私は父に怒られそうだね) 小さくて可愛くて素直(過ぎる)と同時に愚かで傲慢な存在でもあるっていうか。その今の子じゃなくて、あの頃の私自身に言うんだけど。大人になった今、たくさんの事を許されて生きてきたのだと実感する。だからこそ自分も許したいとも思うのに最近表面張力が決壊して、考え方に余裕がなくて危ない。
で思い出したのが「朝が来る」
不妊治療の末に無精子症だと分かった夫とその妻と、養子縁組で迎え入れた「朝斗」君と、その産みの親である若い女の子のお話。
・自身の子供が言った事をどこまで信じられるか
確か朝斗くんがお友達を怪我させちゃった疑惑が浮上するんだよね。朝斗くん自身は「肯定しない」姿勢を貫いたはず、、、だけど親の方が「もしかしたら、嘘をついているかもしれない」って思っちゃうんだよね。その上、怪我させちゃった子の親の方が発言力強くて、母親はあっという間にママ友グループから孤立させられる。→気が滅入って「やってないだろうけど、謝っちゃった方が良いんじゃないだろうか」っていう考えが過ぎる。私は独りの方が妄想に耽れて楽しくなっていっちゃうタイプなんだけど、組織の中での孤立は「普通」は辛いよね。
知識をつけた大人になった今はだいぶ落ち着いたけど、私自身も子供の時はとんでもない嘘つきだったから(親に怒られるのが怖くて)、余計に「子供は嘘をつくよね」って思っちゃったりして。
結局朝斗くんは嘘をついていなくて、相手の子が嘘ついてたんだけど。(私の記憶が正しければ、確かそう)真実が分かった時「疑ってごめん」ってお話と一緒に泣いたよ。涙止まらなくなったよ。電車の中で笑 こう親の真価が問われるというか。私は子供産んですらいないのに、「大人」として自責の念にかられた。大人だからこその洞察力をここで使わず、どこで使うって。
・生みの親の若い女の子「ひかりちゃん」
中3くらいで産むんだっけ、、、女の子の方は覚悟を決めるんだけど、相手の男の子とその親は「堕ろしてくれ」と。ここまでは他の作家さん達とも似たようなお話なんだけど。
話を読むにつれて、恐らくひかりちゃんは「結構可愛い顔の子」なんじゃないかと思わされる辻村さんの手腕よ。明言されないんだけどね、作中のどこにも。大層モテる子なんだよね。だけどずっと男の人たちに騙され続けて、性を搾取され続ける。ボロボロになっていく様は見てられない。次を読むのが怖い。朝斗くんとは違う意味で泣いてしまう。
自分はボロボロにされてるんだっていう自覚もないんだよ、、、途中まで。でもボロボロになった事を自覚して、金欠になって最後自分が産んだ子の「育ての親」に、浅はかで幼稚な脅迫を持ちかける。やっとのことで出したSOSが脅迫って、もう、ね。
養子縁組できる親って高所得が条件だからね。そういう中途半端な知識のつけ方が、もう何とも「子供」でその描写から目を逸らしたくなる。高所得が基本は知識の塊みたいな人たちの称号っていうところまで計算に入っていない。当然のように彼女は知識に負ける。負けるっていう言い方はおかしいか。でもここでやっと彼女は律されるの。いや、ここに来てやっと。確かひかりちゃんってこの時点でも10代なんだよね。
内容書きながらまた泣いてしまう。このどうしようもなく堕ちて行く様が、しんどい。お金も知識もない「子供」の無知さと無力さを、これでもかって言うぐらい目前に突き出されるの。子供って一体何なのって思うよ。もっと楽に「可愛くて元気なの」って捉えられたら良いんだけど、この作品に至っては終始それが許されない。本当に最後の最後まで、救いがないんだよこの子。
ところでひかりちゃんの親って勘当したんだっけ。家出したんだっけ、、、
・朝斗くんとその周りが永遠に幸せでありますように
朝来い朝来い!長い夜を越えて、この人たちが次見る空がどうか晴天でありますようにって思わずにはいられない。「今、子供である子」も「昔子供だった大人」も全員、幸せでありますようにって。
たくさん考えさせられるし、たくさん泣いた本。辻村さんの本の中でも随一しんどくて、「泣ける」本なんじゃないかな。
去年の冬住んでる場所で、そして今年の秋にも新幹線に乗る前に「ん?」って思う子達がいて、その上親も強く注意しないしで気が滅入った笑 子供のやる事だからって許していい範囲ってどこまで。だけど親(大人)の疲弊し切った顔や、毛玉だらけの服を見てしまうと、もう何も言えないのよ。「お疲れ様、今日はたくさん寝られると良いね」と。子供にじゃなく、大人に声をかけたくなる。
子育てって基本は無報酬なんだよなぁ。凄い重労働かつ重責なのに、自身の家族というだけで時間を削って心血注いで、、、言語化したら本当に凄まじいな。子供がお腹に宿ったら私の考えも変わるんだろうか。養子縁組で迎え入れたら変わるんだろうか。不妊治療(私が苦手な筋肉注射のはず)に私の身体は耐えられる? なんか色々言ったけど、赤ちゃんは可愛いって思うのよ。これは本当。
逆に大人の集まりである「会社」「組織」はまだ楽だよね。お金の関係で繋がれるから(無報酬では繋がれなくなるけど苦笑)自分の責任は自分で取りにいけるんだもの。逆に自分の責任じゃないものは叩き飛ばせる。これは私が社長でも重役でもないから言える事なんだろうけど。無論その対価をその重責に対してきちんともらっていれば、話は別だけど。