二木先生/夏木志朋 「普通」が難しい +おまけ

期間限定のカバーみたいで他の本に比べて存在が猥雑な感じがするけど(笑)内容読んだら納得。ただカバー上での内容は、本の帯よりも薄くてただ文字で埋め尽くしたかったのかなぁ、って残念な気持ちになるぐらい、中身は「今」の「学校生活を送る」上で結構大切なこと書いてあった。カバー批判したいわけじゃないんだけど、私の高校生時代に読みたかったなと思うぐらい中身が濃かっただけに、改めてカバー見返すと残念。でも目に留まりやすいって意味では合格だよね、黒ピンクの色味もちょっと、、、な雰囲気を出したいから選択されてるんだろうし。

そんな私もこの本の主人公ほどじゃないけど、高校時代「普通」がうまく理解できてない残念なJKだったなと思う。普通っていうのは、その「高校」の普通とか基準であって、世間一般の平均とか中央値じゃなくてね。

がっつりゆとり世代で、陰キャラやオタクに対して物凄く風当たりの強かった中高時代を送ってた頃が懐かしい。今の大人の感覚と思慮で高校生活出来るんだったら、やらなかった事たくさんあるなぁってぐらい無駄と浅はかさの塊みたいな高校生だったな。つまり「痛かった」んだよね。「二木先生」はそういうしょっぱい高校生時代を思い起こさせるには十分な要素が詰め込まれてた。

自分は人と異なる意見をもつ特別な存在「っぽく」振る舞うけど(周りはそれを気持ち悪い、と評価している)実は凡人と自覚している主人公と、世間的にアウトな性癖を持つけどそれを隠して「普通」に擬態している二木先生の2人が中心のお話。2人のキャラが濃すぎて上手くまとめられない。でも詳しく書くとネタバレで著作権的なアウトになりそう。私にもう少し語彙力と文章力があれば、もっとうまく表現できるのに、、、

 

「特別」でありたくて「何者」かでありたい、みたいな欲求はきっとクラスの中心じゃなかった誰もが持つ欲求だったんじゃないかなぁ。クラスの中心の子達は既に「何者」かであった(ように見えてた)から、こういう欲は抱かなさそうだけど実際はどうだったんだろ。思春期から大学生にかけての「何かにならなきゃ」みたいな焦燥感も思い出したりした。今がもう「何にもなれない一般人だけど、とりあえず他人に必要以上に迷惑かけなきゃ良いや」って気の抜けた生活してる分、余計にあの頃の不安や焦りを懐かしく思い出してしまう。

 

この本を読んでて、「団体行動って具体的に何」って聞かれて、きちんと噛み砕いて答えられる大人ってどれだけいるんだろうって思ってしまった。団体行動って具体的な単語だと思ってたし、実はかなり抽象名詞だなぁと。今までの私の理解って「中心グループの子達が作ったルールに異を唱えない、かつ他人に迷惑をかけない」だったはず。はず、っていうのはそもそも私自身うまく掴めてないんだよね。なんかもっと軽い印象だった言葉なんだけど、文字に起こしたら悲惨なこと書いてあって自分の目と手を疑う。笑 きちんとした意味は「集団が同一の目標のもとに、規律のある行動をとる」ことらしいんだけど、この「規律」ってその学校の中心にいる子たちが決めてる事が多い感じする。

同じような子供から聞かれやすい疑問で「学校って何のためにあるの」って聞かれると、この本を読んだ後はちょっと答え方変わるような気がするなぁ。特に普通が難しくて、ちょっとズレた行動が多いと自覚している子にはお勧め出来るかも。大多数の意見を間違いなく言える・同調できる「普通」の子たちを見て何を得るか。普通じゃないけど、だからと言ってずば抜けた才能もない「ただの変な人」タイプは目を背けたくなるかもしれないけど、自己分析にはもってこいな本。

 

ミステリとかサスペンス・SFじゃないぶん、余計に衝撃強くて、だからこそ長い長い感想残しておきたくなったお話だったよ。読み返すと乱文すぎる感想になちゃったけど。たくさん書いて、精査された文章が一発で書ける日が来ると良いな〜。

 

クスノキの番人 / 東野圭吾

もう一つおまけで。東野圭吾さんの本好きなんだけど、「東野圭吾」っていうグループなんじゃないかって思う時がある。本を出すスピードも早い気がするし、、、最も好きなのは「ガリレオ」シリーズだから、普通の文系感のある文章読むとそう感じちゃうのかも。良いお話だったけど、私の好きな東野圭吾さんじゃなかったなと、ここにメモしとく!