普通であって欲しい、普通でありたい -流浪の月 凪良ゆう著-を読んで

「普通って難しいよね」が最近の小説テーマのトレンドになりつつあるけど、これは正にそのフツムズ?テーマをドンピシャで書いた小説だった。ハードカバーだと電車の中で読みづらいからいつも文庫本を買うんだけど、これは文庫本になるのを心待ちにしていた本。本屋大賞のPOPを横目に、文庫本コーナーに行くもどかしさよ。

男主人公の文君と、女主人公の更紗ちゃんがいるんだけど、私はもっぱら文君に共感してたなぁ。更紗ちゃんの恋愛は設定年齢に相応しく、今の私が共感するには若過ぎた苦笑

 

○親の期待に添えない自分

期待に添えないというか、親の思う「普通」になれないことに対する焦り。周りが普通に出来ることが自分の「身体」には出来ないのだと、理解した時の絶望感。しかも寄りにもよって自力だと逃げ場のない学校生活を送っている思春期に発覚。絶望している上に絶望的な環境が重なると、死にたくなるよね。でも人生半ばで「死ぬ」のも「普通」じゃなくて、ジレンマに陥る感じ。誰かが悲しむとかじゃなく、年若い自殺って普通とはかけ離れた事象なんだよね。普通から離れたことはできない、だから生き永らえる人もいるはず。いや文君に自殺の文字はなかったような、あったかもしれないけど私の印象には残らなかったんだな、、、

私は文君よりは「普通」の成長を遂げたけど、身体が一般人の予想の範囲内で未発達で皆んなでお風呂とか(修学旅行とか合宿であるよね)本当に嫌だった。ちなみに大人になった今も、大浴場的な温泉を拒否してる。小さい子の視線が、、、小さい子だからって許せないぐらいに不躾で本当に嫌だったな。とにかく私は私の身体が苦手だったよ。自分で稼いだお金で半永久脱毛したり、病院に行って身体の中の改善を行ったりして、今はだいぶマシになったけど。

私の母親は「何で団体行動できないの」って、大学のサークルを辞めた私を責めたけど、夏休みに合宿とかあるっていう理由でも嫌だった。もちろん彼女が私を責めた理由は一つじゃない。でも私が団体行動を避ける理由も一つじゃない。

とにもかくにも「普通」が、いかに難しいことか。

 

○自分の知っている情報だけで人を判断するのは、危険

当たり前のことなんだけど、私も含めてみんな出来てないよね。読んでいて、そのままの印象で最後どんでん返し喰らってしまった、、、返しっていうより、より深い理由が明らかになっただけなんだけど。ミステリー小説の最後にそっちかぁって思うのと似ているようで違う。この小説は「本当は」そうだったんだね、だった。でも本当のことを話したところで、話を聞いて疑う人はいれど、信じてくれる人がいないなら、世間の「普通」の感覚に沿って「っぽい」事情を初めから話しておいた方がお互い楽だよね。歪な理解相互だけど、一人一人の事情を丁寧に紐解いていくほど自分も他人も時間がなさすぎる。だから自分が理解できる範疇に相手の姿を捻じ曲げて、理解する。するしかない。時間が有限すぎる。

「どうせ分からないでしょ」っていうセリフは出てこないけど、文君は常にそういう感じで書かれていて、物語中一貫してた。更紗ちゃんが文君と出会ってくれて良かった。太陽のような明るさも強さもない(幼少期はちょっと無邪気)けど、でも更紗ちゃんの姿勢を持つような人間が人1人につき1人いたら、どれほど心強いことか。絶対的な味方。

「本当にそんなことあるかな?」「作り話なんじゃないの」っていう「嘘つき」を暗に示した言葉は死ぬほど無神経だよね。無茶苦茶に当事者を傷つけるよね。でも、そう言ってしまいたい気持ちも分かる事もあるから。だから真実を話さずに口を閉ざす人たちも多い。

だけど分からない、理解できないなら放っといてくれれば良いのに、放っておいてくれないよね。関わらなきゃいけない(仕事や事務的なこと)ならまだしも、なぁ。理解する時間はないけど、人を笑いものにするだけの暇はある、あの嫌な雰囲気。HSPタイプは感じるよね、ひしひしと感じてしまう。

 

○どうか世界が変わりますように

「皆んな」が生きやすい世界って一体どんなだろうって思ってしまう。全然具体的な想像ができないから、余計に形になりにくいんだろうね。うまく引き寄せられない。

どんな世界でも生きづらい人は出てくると思うんだよ。だけど他人に変えてもらう事を求めず、自分で変えられる術や道がたくさん出来れば、それぞれが心地良い世界に少しだけ近づけるかな。

どうか世界の在り方が少しだけ「皆んな」が生きやすい世界に近づきますように。